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アベノミクス?に思うこと。

大変久方ぶりのブログ更新で恐縮です。さて、何を書きたい言いたいかというと・・・

1.政権交代の話し・・・民主党に騙されていた?

2.原子力発電所の話し・・・現実問題としてどうなんだろう?

3.ネトウヨの話し・・・・中国韓国との関係?

の3つです。

1.政権交代の話しに関しては。

私もそうなのですが、民主党には国民の多くがとても期待して投票し、
「一度はやらせてみたい。」ということで3年3ヶ月の政権担当期間があったのですが。

現実に何が起きたかというと。(未だに民主党自身には自覚が薄いようですが。)
「できもしない、やりもしないことを『できます』『やります』と無責任に言って、
(特に大きいのは沖縄米軍普天間基地の県外移設ではないかと私は思います。)
結果として全くできず、国民の不興を買った」ということ。
おまけに不況にもなった、ということ。

不況はある意味で自民党政権時代からだったものの、それも民主党がいちいち
「聞き分けの無い子供のように」反対していたせいではないか、と思われたこと。

自民党に政権が戻って、株価は上昇、円高は修正、何よりも国民の気分が
「ようやく景気が良くなる。」という期待感に高揚し始めたのが明らかになっています。

われわれは民主党に騙された、と言わざるを得ないでしょう。
自らの不明も恥じなくてはなりません。

今度は、自民党にも、騙されないように、(応援しつつも)注視する必要がありますね。
安倍さんは、「できないことは最初から言わない、書かない。」と仰っていただけに
本当に心から期待したいところです。

2.原子力発電所の話し
現在稼働しているのは大飯のみで、他の原発は稼働のメドもたっていません。

原子力行政が多くの欺瞞・・・つまり行政及び電気事業者たちの、虚構と怠慢で
運営されていたことは今や明らかではありますが、また今でも隠蔽体質が残り、
必要な情報が国民に開示されていないのではないかと疑いの目で見るのはある意味で
自然なことだと思いますが。

とはいえ、原子力発電所の全基即時停止・撤廃が現実的かと言えば、安全保障政策も含め、
なかなか現実的では無いのかもしれません。

シェールガスの輸入やメタンハイドレートの実用化、もちろん再生可能エネルギーの
割合も高めることを並行しつつ、原発も緩やかに撤廃の方向に持っていかざるを得ないのではないか、
と思うようになりました。

3.ネトウヨの話し
私は最近「インターネットの便所の落書き」と言われる「2ちゃんねる」を良く眺めています。
(おっさんとしてはちょっと気恥ずかしいかもしれません、ただ書き込みはしてません。)
(実際には40代50代の方の書き込みが多いらしいですね?)

本当にくだらない、下品で下劣なコメントもたくさんあるのですが、
こと、いわゆるネトウヨと言われる人たちの「「対中国」や「対韓国」へのコメントは、
恥ずかしながら共感を持てるものがとても多いことに気が付きます。
(私はそれで、購読していた朝日新聞を産経新聞に変えました。)

中国は国内問題のガス抜きと将来の権益獲得のために戦略的に、
また韓国は、自分たちで捏造した歴史を本気で信じ込んでいるために、
いずれも日本に対してことあるごとに有形無形の圧力を掛けてきています。

私は精神的にやや未熟で幼い部分があるので、「こいつら中韓はホントにむかつくな!?」と
思うことも多いのですが、経済情勢が好転しつつある昨今となると、やや気持ちにも
余裕が出てきて、
「いちいち相手にしても向こうの思う壺」
「日本が経済的に順調であればあまりマトモに取り合う必要はない。」
「ある意味、とても可哀想なのは彼の国の国民たちではないか。」
「我が国日本は大人の国として、冷静に毅然と対峙する、或いは場合により無視すべきでは?」
と思えるようにもなりました。

やはり、日本は未だに失業率も低く、お仕事さえあれば忙しく自分の人生を実現できる、
世界で最高水準の幸福な国ではないかと思いますので、
「言論が自由でない、窮屈な国民は哀れだなぁ・・・」とか
「他国を憎む教育を国家的に行い、本気でそれを信じこまされて、『嫌い』や『恨み』を
植え付けられて生きる人生は気持ちが貧しく不幸だろうな・・・」
と思うようになりました。

また、マスコミ内部に多数の在日韓国人や在日中国人が存在していることが、
報道や番組の中で、それと気づかせずに中国韓国を持ち上げ、日本人の罪悪感を煽っていることの
原因であることに気付かされました。

やはり、行政・立法・司法がきちんと機能すれば、国民は幸福になれるものだと、
「国家の役割」を最近になって再認識しているところです。

あとは我々国民の一人ひとりが騙されないように行政を監視し、主権者の自覚を持って
行動することでしょうか・・・。

しかし、まずは定数削減よりも「一票の格差」をきちんと是正して欲しいですね!
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不動産価値は資金調達側の収益率で決まるの?

結論から申し上げれば、そうではありません!

ここのところ仕事があまりにも集中していたため、しばらくの間、更新しておりませんでした。以前、以下のようなご意見を頂戴し、回答させていただいたことがございます。

『ローンとエクイティとで構成される不動産投資ビークル(不動産ファンド)が市場参加者の中心的な存在である場合、その投資ビークルの資金調達能力、あるいは、リスクに対するポジションが不動産価格を動かすことになります。』

以下、回答です(多少の追加、修正を加えてあります)。

私の議論は、同一時点の同一不動産の価格は、金融条件によって異なることはない、という趣旨でして、金融情勢・経済情勢や、これに影響されて融資条件など、外的環境が異なる異時点間の同一不動産の価格まで同一だ、といっているわけではありません。同一不動産であっても、外的環境が異なる異時点間であれば、当然価格も異なってきます。

また、私の議論は、以下に述べます「市場価値」(鑑定評価基準でいう「正常価格」)の話でありまして、「市場価格」や「投資価値」の話ではありません。

議論の混乱を避けるため、ごく簡単に用語の定義をさせていただきます。日本の不動産鑑定評価基準(以下「評価基準」といいます。)には「投資価値」の定義はありませんので、ここでは、米国のビジネススクールなどでも広くテキストとして採用されているジェフリー・D・フィッシャー、ロバート・S・マーティン著(刈谷武昭監訳)「収益不動産評価の理論と実務」(東洋経済新報社)における定義を採用させていただきます。

「市場価値」・・・ 不動産の特定の権益に対して、典型的かつ市場の事情に通じた投資家、マーケティングのための相当な期間そして現金ないしはそれと同等の条件でなされた取引、という仮定の下で、売主が見込むことができる最も確からしい価格を表す、ある特定の時点現在においてなされた価値評価額。原著では「Market Value」ですので、評価基準でいえば、鑑定士が通常求めることとされている「正常価格」に該当します。評価基準には評価基準なりの定義がありますが、別のブログでも書かせていただきましたが、ここでは、日本における鑑定評価理論の礎を築かれた故櫛田光男先生の言葉を再掲させていただきます。正常価格というものは、「売手、買手の双方が、いずれも得はしませんけれども、同時にいずれも損をしないような価格として、したがって、誰にでも通用し、誰もが納得する価格として市場という仕組みをとおして、社会一般が認めるものである」ということができます。評価基準でいえば、合理的な市場で形成されるであろう「市場価値を表示する適正な価格」ということになります。

「市場価格」・・・ 収益不動産に対して実際に支払われた価格。原著では「Market Price」ですので、評価基準でいえば収益不動産の「取引事例」の価格に該当します。「市場価値」と同じ場合もあれば、異なる場合もあります。

「投資価値」・・・ ある投資家にとっての収益不動産の価値。鑑定評価基準には定義がありません。原著では「Investment Value」です。コンサルティングで求める範疇であり、鑑定評価として求める価額ではありませんので定義をしてないのだと思います。これも「市場価値」と同じ場合もあれば、異なる場合もあります。

なお、「投資家」という場合には、エクイティ投資家のみならずローンレンダーなども含みます。

不動産の価値は、典型的あるいは標準的な市場参加者が求める価値の水準を中心に価格が形成されていきます。ただ、収益不動産の場合、買手中心の見方に偏りがちですが、市場参加者には、売手と買手の双方がいるということも忘れてはいけません。双方が納得いく水準で価格は形成されていきます。市況によっては買手主導の市場、売手主導の市場、両者とも特段主導的立場にあるわけではない安定的な市場などが考えれますが・・・。

確かに「ローンとエクイティとで構成される不動産投資ビークルが市場参加者の中心的な存在である場合、その投資ビークルの資金調達能力、あるいは、リスクに対するポジションが不動産価格を動かすことになります。」というのは、「市場価値」(正常価格)に限定しなければ、おっしゃるとおりだと思います。まったく異論はありません。

ただ、当該価格は、「市場価格」あるいは「投資価値」とは確実にいうことはできますが、はたしてこれを「市場価値」(正常価格)といえるかどうかです。供給者側の事情、需要者側の事情、需要者側はさらに、ローンとエクイティで構成される不動産投資ビークルが市場参加者の中心であれば、エクイティ投資家とローンレンダーの事情、これらすべての参加者が、合理的な市場を前提とした場合の典型的あるいは標準的な市場参加者に該当しているのかどうかによることになります。「市場価格」あるいは「投資価値」と結果的に同じ場合もあれば、異なる場合もあります。

投資家はさまざまな投資基準で投資行動を行っておりますので、エクイティに対するリスクポジションが異なれば、当然さまざまな「市場価格」あるいは「投資価値」が生じます。また、ローンレンダーの融資条件も投資家によってさまざまですので、それによっても当然さまざまな「市場価格」あるいは「投資価値」が生じます。では、さまざまな「市場価格」あるいは「投資価値」がある中で「市場価値」(正常価格)はあるのでしょうか、ないのでしょうか。故櫛田光男先生の言い方を使わせてもらえば、さまざまな「市場価格」あるいは「投資価値」の中に潜んで必ずあるはずです。それを引き出すには、供給者と需要者(エクイティ投資家、ローンレンダー等を含む)が、合理的な市場を前提とした場合の典型的あるいは標準的な市場参加者に該当しているのかどうかがポイントです。どのような供給者と需要者がこれに該当するのかを判断するのが不動産評価の専門家としての能力の良し悪しといえます。

同一時点の同一不動産についてDCF法による収益価格を考えてみます。

A 借入金0%、自己資本100%、総合割引率YOの場合のDCF法による収益価格が1000 だとします。YOは、例えば、金融資産(国債、株式、社債など)の利回りに不動産の 個別性(投資対象としてのリスクプレミアム、流動性欠如リスクプレミアム、マネジメ ント・リスクプレミアム、安全性プレミアムなど)を加味して求めたりします。還元利 回り、純収益の変動予測との整合性もチェックします。

B 借入金70%、自己資本30%の場合、割引率は2つ必要になってきますので、借入金割 引率(金利)YM、自己資本割引率YEとしますと、DCF法による収益価格はやはり1000 でないとおかしなことになります。「市場価格」あるいは「投資価値」はいろいろあり ますが、同一時点の同一不動産についての「市場価値」(正常価格)はひとつですので。

理論的には、「YE=YO+金融リスクプレミアム」といえます(ジェフリー・D・フィッシャー、ロバート・S・マーティンの前掲書)。

これを前提に、仮にYOを一定とした場合、LTVは10%でも50%でも90%でも、YEは金融リスクに応じていろいろ変動しますが、収益価格は1000のままです。

要は、YEは単独で求めることは困難だということです。LTVが異なればYEも同じだけ異なってきます。

さまざまな「市場価格」あるいは「投資価値」の中に合理的な市場を前提とした場合の典型的あるいは標準的な市場参加者の提示する「市場価値」(正常価格)が潜んで「ある」とすれば、当該価値については、資金調達内訳ではYM、LTV、YEのいろいろな組み合わせで同じ解が得られます(資金調達コストの加重平均が同じになれば)。としますと、実際上は、資金調達の内訳側から「市場価値」(正常価格)を求めるのは困難だということです。

収益価格の求め方としては、対象不動産の投資リスクに応じてYOの暫定値を求め、典型的あるいは標準的な市場参加者を判定してLTVとYMもあらかじめ暫定値を置き、期間収益の現在価値合計と復帰価格(最終年翌期の純収益÷ターミナルキャップレート)のバランス、借入金償還余裕率(DSCR、純収益÷借入元利返済額)などを考慮し、最終的にYEも含めた各数値が妥当するバランスになっているか、総合IRRとYOの一致、などを何度も何度もチェックしながら最終結論を求めたりはします。

投資家もいろいろいますので、当然、YEが典型的あるいは標準的な市場参加者よりも低位でOKという場合もあるでしょう(その場合、収益価格は上昇、逆の場合は収益価格が下降しますのでそもそも売主側に売急ぎなどの事情がないと購入できない)。また、資金調達能力が優れていてYMが典型的あるいは標準的な市場参加者よりも低位でOKという場合もあるでしょう(上記と同様)。但し、これらは特殊な能力あるいは条件によって典型的あるいは標準的な市場参加者の提示する価値を超えた「市場価格」あるいは「投資価値」での購入であって、「市場価値」(正常価格)とはいえません。

ここで、ファイナンス理論の面から若干の考察をしてみます。

まったく同じリスクで同じ収益をあげる同類型の不動産を1つだけ持っている不動産投資ビークルをAとBの2つ想定します(法人税、取引コスト、倒産コスト等は考慮外です)。Aは負債なし、Bは負債ありです。

モディリアニ(フランコ・モディリアニ、1985年ノーベル経済学賞受賞)とミラー(マートン・ミラー、1990年当該MM理論の功績等でノーベル経済学賞受賞)の不変定理(MM理論)の第1命題によれば、税金や取引コストのない完全市場を前提とすると、企業の価値はB/Sの借方の資産のみによって決まり、貸方の資本構成と無関係である、とされています。ミラー教授がノーベル経済学賞を受賞したとき「ピザを2つに切っても4つに切ってもピザ全体の価値は変わらない」と例えたそうです。A、Bに同じ割合だけ出資するポートフォリオを考えた場合、同じリスクで同じ収益をあげるわけですから両者は同じ価値になるはずです。でなければ、割安なポートフォリオを買うと同時に割高なポートフォリオを売ることによってリスクなくサヤ抜きができることになってしまいます。このような裁定取引を通じて両者は同じ価値水準に引き寄せられます。レバレッジを高めることによって、エクイティの期待収益率は上昇しますが、同時にちょうどその効果を相殺するだけ、エクイティのリスクが高まっていると考えられたわけです。

エクイティと財務レバレッジの関係については、MM理論の第2命題で、完全市場を前提とすると、エクイティの期待収益率は、負債比率に比例して上昇する、とされています。

企業(不動産ビークル)全体の期待収益率は下記の加重平均値となります。

Ra ={ Rd × D / (D+E) } + { Re × E / (D+E) }

Ra:企業(不動産ビークル)全体の期待収益率(割引率、資本コスト率)
Rd:負債の期待収益率(借入金割引率)
Re:エクイティの期待収益率(自己資本割引率)
D :負債の時価
E :エクイティの時価

上記の式を変形しますと下記となります。MM理論の第2命題が証明されます。

Re = Ra + { (Ra-Rd) × D / E }

つまり、負債を利用している場合のエクイティの期待収益率(自己資本割引率)は、レバレッジに伴う財務リスクに対応するリスクプレミアム分(右辺第2項)を加えた値に等しいということです(現実には、負債比率が高まるにつれて、企業の倒産リスクも高まるため、Rdには倒産リスクを反映したリスクプレミアムが上乗せされ、一方、Reはその分落ち込むはずですが、前記のとおりここでは考慮外です)。

モディリアニとミラーの不変定理で何がいえるかといいますと、レバレッジをきかせ、負債比率が高まると、その金融リスクが高まった分だけ、エクイティの期待収益率(自己資本割引率)Reは上昇するということです。Raそのものは、ビジネス・モデル、事業プロジェクト、保有する不動産の投資リスク等で決まるのであって、資金調達の内訳にはよらないということです。Reが先に決まってくるのではなく、ReはRaに依存して決まってくるということです(同一時点では、事業、投資リスク等によってRaが先に決まってくるのであって、貸方の内訳をどう変えようがそれは一定ということ)。

重要なので繰り返しますと、事業、投資リスク等によって市場における企業(不動産ビークル)全体の適正な期待収益率(割引率、資本コスト率)が決まり、それに応じた資金調達をすべきといっているのでして、その逆ではありません。ただ、(B/Sでいえば借方の)企業(不動産ビークル)全体の適正な期待収益率(割引率、資本コスト率)は、いろいろな価格秩序の中に潜んでおり、簡単には識別できないものですから、より観察可能な(貸方の)エクイティと負債の期待収益率を加重平均して便宜的に代用しているに過ぎないのです。この逆をやろうとすることは、モディリアニとミラーの不変定理からすれば、それこそ本末転倒の議論です。

貸方側の内訳から、借方側の資産の価値を決めるのは「投資価値」という意味では何ら問題ありません(投資家の勝手です)。でもそれは、「市場価値」とは必ずしも同一のものではないということです。

残念ながら、私は、2人のノーベル賞学者が到達した上記理論を否定するだけの知識は毛頭持ち合わせておりませんし、純理論的には上記理論は妥当するものだと考えております。

以上繰り返しになりますが、同一時点の同一不動産の市場価値(正常価格)は、金融条件によって異なることはありません、但し、金融情勢・経済情勢や、これに影響されて融資条件など、外的環境が異なる異時点間の同一不動産の価格は同一とはいえず、同一不動産であっても、外的環境が異なる異時点間であれば、当然価格も異なってきます、ということです。典型的あるいは標準的な市場参加者自体も変わってきますし、対象不動産のベースとなる収益率も異なったものとなりますので。

もうひとつ、野口悠紀雄さん(早大大学院ファイナンス研究科教授、一橋大名誉教授)によるビジネスマン向けの入門書「ファイナンス理論入門」(2004年、ダイヤモンド社)のP8~P9をそのまま引用させていただきます。

『企業価値について最も基本的な事柄は、つぎのことだ。』
『第一に、企業の価値は、将来の収益とリスクで決まる。つまり、企業のビジネスモデルによって決まるのである。これは、ある意味では当然のことだが、後で述べるように、現実にはこの命題が理解されていないことが多い。』
『第二に、企業の価値(A)は、借入の現在価値(D)と株主にとっての企業の価値(E:株式の時価総額)の和に等しい。このことを、A=D+Eと表そう。貸借対照表の借方にあるAが、ビジネスモデルから決まる「企業の価値」だ。貸方のEは、株式市場で「時価総額」として評価されている。』

『この関係式自体は、ビジネスマンなら誰でも知っている。しかし、多くの人は、因果関係について誤解に陥っている。つまり「DとEが決まり、それによってAが決まる」と考えている人が多いのだ。』

『しかし、そうではない。将来の収益とリスクで企業の価値Aが決まり、Dを所与とすれば、AマイナスDによってEが決まるのである。』

関係式の結論だけみて勘違いされている方は意外に多いようです!でも、考えてみればあたりまえのことではないでしょうか?

投資家も、まずAという本来のポテンシャルを考えたうえで、デット(D)の状況とエクイティ(E)についての自ら設定したハードルレートを考慮して投資を決めるのが普通ではないでしょうか。

DとEを先に決めて投資を考えていたら、Dの条件が思いっきり緩和状態だったり、あるいは、物件の競争が激しいけどEへの投資需要があまりにも旺盛だったりしてハードルレートがやや低位になってきたりしたときに、本来のAの価値を超えたA’で投資してしまうということが生じてしまうのではないでしょうか。

近年のファンドバブルとその崩壊にはこのような面もあったのではないかと、私は思っております。ファンドについては、元本返済の原資としての内部留保ができないという制度上の問題も今になってはあったのだと思います。確かに、レンダーからみれば、元本返済が売却によってしかできない、でも、価格自体つかないという状況はきついです。

不動産価格が緩やかな曲線を描いて下落していくのではなく、突然値がつかなくなるという(曲線でいえば直角に下落)こともあり得るということを身をもって経験したわけです。

本当に重要な「不動産そのものの価値とは何か」(借方の話)ということから離れて、貸方のエクイティの投資収益率やレバレッジなどに目を奪われ過ぎていた面があったのではないかと思っています。

では(^E^)

建築中の建物と留置権

街を歩いていると、たま~に建築途中で工事がストップし、建設会社が「留置権行使により立入りを禁ずる」みたいな看板を立てて中に入れないようにしている案件を見かけることがあります。工事発注者が工事代金を支払えなくなったケースが多いと思われます。

民事上の留置権は、他人の物の占有者がその物に関して生じた債権を有する場合に、その債権の弁済を受けるまで、そのものを留置することができる担保物権です。成立要件としては、①債権と物との牽連性、②被担保債権が弁済期にあること、③留置権者が他人の物を占有していること、④占有が不法行為によって始まったものでないことが必要となります。

一方、商事上の留置権というのもあり、基本的には、民事留置権と同じものではありますが、取引の性質の違いなどから、成立要件が民事留置権のそれを緩和、変更している部分が見られます。商人間において、商行為によって生じた債権が弁済期にあるときは、債権者は弁済を受けるまで、その債務者との間における商行為によって自己の占有に帰した債務者所有の物又は有価証券を留置することができるというものです。成立要件としては、①当事者双方が商人であること、②双方的商行為によって生じたこと、③弁済期が到来していること、④債務者所有の物または有価証券であること、⑤債務者との間の商行為を原因として債権者が占有するに至ったものであることが必要となります。②の要件は、被担保債権の発生と留置権の占有取得が双方的商行為によって生じたという一般的関係があれば足りるという意味で、民事留置権における債権と物との牽連性は商事留置権では不要という点が最も異なるところです。

以下は、私が鑑定評価上出くわした案件です。留置権が認められるかどうかによって、土地の権利価格にも影響しますので問題です。案件は、建物として独立の不動産と評価される以前に建築工事がストップしたものですので、すべてのケースに当てはまるというものでもありません。

まず、工事代金債権を被保全債権として、建設会社が建築敷地について商事留置権を主張することは可能なのでしょうか?結論としましては、建設会社は、工事請負契約により、建築敷地上で工事をしていたわけですから、土地に対する権限は、請負契約に基づく債務の履行のために土地に立ち入ることができる権限に過ぎず、発注者である土地所有者の占有補助者としての地位を有するのみで、土地所有者から独立した占有者・占有権限者とみることはできませんので、格別の権限を認める合意でもない限り、建設会社が商事留置権を主張することはできません。

つぎに、建設会社は、工事代金債権により、建前(建築中の建物)に商事・民事の留置権を有していますから、その反射的効果として、土地を占有する権限を有していると主張することは可能でしょうか?確かに建前については、商事・民事の留置権を有しているといえますが、その留置権の行使によって、土地に何らかの反射的効果があるとしましても、これはあくまでも事実上の利益であって、占有権限とはいえませんので、やはり建設会社が留置権を主張することはできません。なお、詳細はわかりませんが、建物の留置権の反射的効果として敷地に対する占有権限が認められた判例もないわけではありません。

さらに、建築工事をする初期的段階で基礎・地階など土地に関する工事を行ないますので、これに該当する工事代金相当が支払われていないといえる場合、この債権は土地に関して生じたものであるとして、建設会社が土地に民事留置権を主張することは可能でしょうか?このような工事が土地に関するものであるのは確かですが、これは建物建築工事の一環であり、建物建築のために、土崩れを防止したり、土地に杭を打ったり、地階や基礎の工事をするもので、建物建築から独立して土地自体の改良などを目的とするものではありません。したがいまして、土地(物)に関して生じた債権ということはできませんので、建設会社が民事留置権を主張することはできません。

そうしますと、工事代金支払いの不履行を理由に建築途中で工事がストップした場合、建設会社が工事代金債権を被保全債権として、建築敷地について留置権を主張することは、一般的には難しいということになります。土地を担保に融資を行った金融機関などの立場にたてば、このような結論は妥当だと思います。競売により貸付金を回収しようと思ったら、建築工事代金債権相当が控除されるというのでしたら、債権回収などできなくなりますので。

では(^E^)

高架下地と借地権

たま~に高架下地の鑑定を依頼されることがあります。高架下地というのは、地上から高く支台を架設し、その上に敷設した鉄道または高架道路の直下の土地のことをいいます。

高架下地の評価を行なう局面としては、当該土地を第三者に貸し付けることに伴い、建物が高さ・配置などの利用制限を受けること、騒音・振動による快適性の低下、日照・採光あるいは通風・換気の障害による環境的影響を受けることなどを考慮した元本価値を求めるケースなど、依頼目的としては、賃料を求めるケース、借地権価格を求めるケースなどがあります。

ここで話の対象としますのは借地権価格を求めるケースです。その中でも鉄道高架下地の話です。また、論点が明確になりますので、私鉄の場合ではなくJRの場合です。

そこで、どのような方法で価格を求めるのかの前に、そもそも論として問題になるのが「鉄道高架下地の貸借関係について、旧借地法あるいは借地借家法(以下「借地借家法等」といいます。)の適用があるか否か」ということです。

この点について、下級審の判例はいくつかありますが、最高裁の判断が示されたことは実はまだないのです(だいたいが高裁で和解しているのだと思います)。

鉄道高架下地が貸借されているケースは、全国的にも結構な数になると思います。今年の7月15日に家賃・更新料についての最高裁の初めての判断が示されました。その影響がかなり広範囲に及びますので注目しておりましたが、結果的に取引慣行にも配慮された妥当な判断でした。鉄道高架下地の貸借もその影響がかなりの広がりをもつ可能性があるだけに注目はしているのですが、まだそこまでいきそうな事案は見当たらないようです。

本件の話の対象については下記の時代区分をする必要があると思います。

①旧国鉄時代に日本国有鉄道法により国有財産のうち行政財産に「準じた」扱いがなされていた時代の話(昭和25年4月以降、国鉄には国有財産法が適用されないことになっていましたので、上記以降の法律関係に適用される法規は、公法法規ではなく、私法法規と解されておりましたが、国有鉄道の行政財産たる企業用財産として、国有財産法上の行政財産に「準じた」扱いがなされていた。基本的には、旧借地法の適用はないという扱いがなされていた〔反対説もあるにはありましたが〕。)

②旧国鉄時代からの契約がそのまま自動更新されて、昭和62年4月1日に旧国鉄から移行した特殊法人の日本国有鉄道清算事業団の財産として引き継がれたものの話

③旧国鉄が民営化(昭和62年4月1日)されて以降も、旧国鉄時代からの契約がそのまま自動更新されて、鉄道営業向けの事業用財産を承継したJR各社との間で、特に再契約などを経由せず、貸借関係が継続したままとなっているもの(短期契約が繰り返し更新されてきたものが多い)

④基本的な時代区分は後記⑤と同様であるが、敷地上の建築物が、明らかに一時使用と呼べるようなものあるいは建物というより工作物に類似するものである場合

⑤旧国鉄が民営化(昭和62年4月1日)されて以降に、鉄道営業向けの事業用財産を承継したJR各社との間で締結された土地の貸借の話(従前より貸借していたが、民間会社同士で一般的な建物所有目的の土地の賃貸借契約〔堅固建物所有目的で期間も30年など長期〕を新たに締結し直した場合)

下級審の判例は、見渡した限りでは上記①乃至③に該当するもののようです。④については、借地借家法等の適用なしということで特段問題はないと思います。

①乃至③について、判例の傾向としては、「借地借家法等の適用がない」とするものが多いようです(いくつか「適用がある」としたものもあるにはありますが)。

問題は⑤の場合です。個人的には、この場合は「借地借家法等の適用がある」とすべきだと解します。もちろん、建物が高さ・配置などの利用制限を受けること、騒音・振動による快適性の低下、日照・採光あるいは通風・換気の障害による環境的影響を受けることなどを考慮した元本価値を前提とする借地権ですので、通常の借地権よりもそれ相応に減価された元本価値に即応した借地権ということにはなりますが。

JR各社も、駅中などを有効活用してその成果が話題となっている現在では、さすがに⑤のような契約は締結しないと思われますが、⑤のような契約も現存しているのではないかと思います。

上記②のケースではありますが、「借地法の適用がない」とされた判例(東京地裁H7.7.26判決)では、以下のような判断が示されました(判例タイムズ№945〔1997.9.25〕)。

・本件使用承認に基づく本件高架下の貸借関係は、貸借の対象が土地ではなく、地表を含む空間(地中は含まない。)であり、また、

・鉄道高架線を支えるために設けられた支柱(橋脚)と基礎部分(地表)とから生じた空間を利用して便宜重複的かつ副次的に本来の目的を妨げない範囲で

・他人に簡易な建物に類する工作物の所有を許すものであり、

・主たる目的が建物所有ではないから、借地法の適用はなく、民法が適用されるべきであり、

・本件使用承認に基づく合意の性質は、私法上の無名契約である、

と判示し、

・本件貸付規則(旧国鉄が定めた土地建物貸付規則)に基づく使用承認は、国鉄が右規則に従った内部意思に基づき相手方当事者との合意により行う特約という性質を有するもので、

・特段の事情のない限り民法の貸借関係規定と異なる内容を特約(合意)したものとして有効であり、

・したがって、期間を3年とした合意及び国鉄の都合による使用承認の取消しを定めた特約は有効であるから、本件高架下の使用承認は本件承認取消しにより終了した、

と判示しました。

民法解釈上、地下又は空中の地上権についても借地法が適用されると解されており、地下又は空中の賃借権も、登記はできませんが、有効と解されております。

また、判例(最判昭42.12.5)では、借地法1条の「建物ノ所有ヲ目的トスル」とは、借地使用の主たる目的が、借地上に建物を築造し、これを所有する場合を指し、借地上に建物を築造し、所有する場合であっても、それが借地使用の主たる目的ではなく、その従たる目的に過ぎないときは、これに該当しないと解するのが相当、とされています。

東京地裁H7.7.26の判例では、使用承認の対象は、土地ではなく、「鉄道高架下の空間」であり、使用承認の「主たる目的は建物所有ではない」と判断されたわけです。

確かに、前記①乃至③のケースでは、国有鉄道の行政財産たる企業用財産として、国有財産法上の行政財産の扱いに準じて、私法法規関係ではあっても、借地借家法等の適用がないという解釈も、必ずしも不当ではないと思います。

また、一時使用や、建物所有が主たる目的とはいえないというようなケースもあるとは思います。

だからといって、前記⑤のケースをこれらと同一に扱うべきとする解釈は妥当だとは思えません。借地借家法等の適用があると解釈すべきケースも存在すると考えます。契約は自由ですし、「空間の貸借」などではなく、「空間的利用制約がある中での建物所有目的の土地の賃貸借」というものがあってもいいはずですし、これを排除しなければならない理由は何らありません。具体的事案に応じて、契約内容、期間、地代、建物の規模(借地部分に対して相応の規模)、構造、借地人の(空間的利用制約の範囲内での)借地部分に対する排他的独立性等々を総合的に勘案し、借地借家法等の適用の有無を判断すべきものと考えます。

近年、鉄道高架橋鉄道施設の耐震補強工事実施に伴う鉄道高架下の土地賃借人に対する建物収去土地明渡請求事件が増加する傾向にあります。震災の影響もあり、今後さらにこのような事件が多くなる可能性もあると思います。

借地権の価格は、一面で土地を長期間占有し、独占的に使用収益し得る安定的利益を背景とした経済的利益を反映しております。最低存続期間の保証、法定更新制度、正当事由制度による保護、譲渡等による代諾許可制度等、借地権の強化、安定化が図られております。これが市場流通性を高め、有効需要の存在により経済価値を生じさせる面があるわけです。

したがいまして、借地借家法等の適用の有無は建物所有目的の土地の賃借権の経済価値判断に大きく影響してしまう大変重要な事項なのです。

鉄道高架下地の貸借に借地借家法等の適用がないのであれば、そもそも鉄道高架下の借地権価格の評価もあり得ないということになります。

確かに鉄道交通は公共性のある事業ではありますが、当該事業の障害とならない範囲内での借地権の設定は、当事者の自由であり、これを排除する方向の意思解釈の流れは、必ずしも妥当ではないと考えます。

具体的な評価手法にまでは言及できませんでしたが、気になる論点でしたので書いてみました。

では(^E^)

「危機の中のリーダー」怒れる国民の一人より

ここ2ヵ月ばかりは行事に仕事にめちゃくちゃ忙しかったのですが、本日やっと一段落し、投稿する余裕がちょっとできました。

ただ、この間の日本の政治状況をみてますと、正直大変ガッかりしています。

「怒れる国民の一人」として物申さずにはいられません。

以下は私の個人的意見であり、やまと鑑定のみなさんとは関係ありません。

今のような危機的状況下でこそリーダーの資質が問われるべきだという意見には大賛成です。平時であれば、多少ダメなリーダーだとしても、それを支える人々がしっかりしていれば、そうたいした問題にはなりません。

危機的状況下でのリーダーと民主制について考えるとき思い出すのは、第二次大戦下、イギリスの首相として同国を勝利に導いたチャーチルです。

1940年まではチェンバレンが首相でしたが、対独伊に対する宥和政策がヒトラーやムッソリーニなどのファシストを増長させたとして批判されました(近年では、宥和政策によって軍備増強の時間稼ぎをしたとの肯定的評価もあるようです)。

独伊の裏切りにより、チェンバレンの宥和政策が破綻すると、後任にはチャーチルが就任し、挙国一致内閣が組閣されることになりました。

チャーチルは誰よりも早く、ファシストとは断固として戦う以外にないことを主張していました。英仏連合軍が敗れ、フランスが屈服した逆境のなかで、イギリス国民はチャーチルの登場を求め、彼もその期待に応え、国民も彼のリーダーシップに応えて逆境を粘り抜き、最終的には勝利をおさめたわけです。

ところが、対独戦が終わって3ヵ月も経たない1945年7月の総選挙で保守党が敗れ、チャーチルは下野しなくてはならなくなったのです。イギリスにとって第二次大戦における最大の功労者が、お役御免と宣告されたわけです。しかも、選挙敗北が確定したのは、ポツダム会談の途中だったため、連合国の勝利に大きく貢献したにもかかわらず、戦勝の瞬間を首相として味わうことなく帰国することになったわけです。

チャーチルのすごいところは、それがイギリスの議会主義、責任内閣制とういものだとして、回顧録などで自らを慰めているところです。なお、チャーチルは「第二次大戦」を最高峰とする一連の著作によりノーベル文学賞を受賞しています。また、何かの本で読みましたが、かつてチャーチルが収監されていたときに、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を取り寄せて、何回も何回も熟読していたことがあったようです。こういう方が歴史から学ぶという人なのだと思います。

イギリス国民は、危機的状況下では強力なリーダーシップを求めましたが、危機が去るや否やより平凡なリーダーと交代させたわけです。この使い分けにこそイギリスの政治能力の根幹があるという学者もいます。この醒めたところが、成熟した議会制民主国家というものなのだと思います。

翻って、今の我が国の状況はどうでしょうか。

原発事故が起こったときに、まず考えるべきだったのは、危険エリアの住民の避難であり(SPEEDIの予測を見ればどのエリアが危険かわかったはず、情報が集約されてくる官邸が知らなかったというのもおかしい、もしそうならそれこそ大問題)、自治体への伝達であり、原発の現地視察などではないはずです(生死も覚悟して頑張っていた現場では迷惑なだけです)。結果、多くの住民を被曝させることになりました。

震災以降をみていると、都合の悪いことはすべて他人に判断を押し付けているように感じます。ベントは東電の判断、注水は自衛隊の判断、法定されていない計画避難地域の避難は住民の判断等々、リーダーとしての自覚はどこにも感じられません。浜岡原発停止要請は英断だと評価する向きもありますが、ある意味何の考えもない方だからこそできたことだと変な意味で評価(?)されていることの方が妥当だと思います。

雑誌に書いてありましたが、今や誰も「首相としての資質」は問題にしていない(みんな知っています)、「人としての資質」が問題にされているのだ、と。

期間限定でもかまいませんので、リーダーシップのある方の出現を望みます。平時であればこの程度でもかまわないとは思いますが・・・・。

そういえば、震災復興構想会議の五百旗頭議長が応仁の乱を持ち出して、首相の資質を今問うべきではない、とういうようなことを、記者クラブで言ったという話がありましたが、歴史に学んだとはいえないピントズレした学者先生だと感じます。確かに応仁の乱によって京都が瓦礫の山となったのは事実ですが、時の為政者が無能でリーダーシップのない人間だったことこそ問題です。

京都は第二次大戦ではほとんど被災しておりませんので、冗談なのかわかりませんが、京都人が「戦後」という場合は、第二次大戦後ではなく、「応仁の乱後」という意味だとの話があります。

恥ずかしながら最近知ったのですが、1945年の5月の段階では、原爆投下目標の第一の候補は京都だったということを知りました。一旦標的からは外されましたが、7月には再び標的の第一候補に復活し、最終的には文化都市が瓦礫の山と化した場合の癒しがたい反米感情も考慮し再度外されたようですが。古本屋さんでたまたま買った、長谷川毅著「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」(中央公論新社、2006.2、第7回読売・吉野作造賞受賞)より。日本がソ連に終戦処理の期待をかけ(スターリンにそんなつもりはサラサラないのですが)、裏切られていく様が克明に描かれており、我が国のリーダー不在を痛感します。

それと、応仁の乱当時の将軍は足利義政ですが、意外と菅直人氏との共通項があります。

<ここからは、気分転換で、半分おふざけですのでご容赦ください。>

足利義政→第8代室町幕府将軍
菅直人→民主党第8代党首(1998年以降の現在の民主党)

足利義政→2代前の将軍:剛腕政治家足利義教
菅直人→2代前の党首:剛腕政治家小沢一郎

足利義政→正室:出しゃばりで強欲な日野富子
菅直人→正室:出しゃばりな菅伸子

足利義政→日野富子の大叔母が足利義政の実母日野重子
菅直人→菅伸子の叔父が菅直人の実父菅寿雄

足利義政→長禄・寛正の飢饉発生(1459~1461)、洛中だけで約8万2千人の死者、この最中に花の御所改築、物見遊山にも行く、後花園天皇に諌められるも無視、顰蹙を買う、応仁の乱発生(1467~1477)、京都は瓦礫の山と化す

菅直人→東日本大震災、原発事故発生、住民避難よりも現地視察パフォーマンスを優先、むしろ被災を拡大させる、4ヵ月を経ても震災復旧すら進展せず、内閣不信任案をペテンでかわす、孫正義に煽てられ自然エネルギーに注力、顰蹙を買う

足利義政→有力守護の畠山氏、斯波氏などの家督争いに介入するも、場当たり的対応によりかえって混乱を増長させる、細川勝元と山名宗全の対立もからみ混乱拡大、自らの後継も統御できず、かえって応仁の乱の原因のひとつとなる、和平のチャンスに引退の無責任、リーダーとしての資質及び自覚無

菅直人→首相に就任以降内ゲバに勤しむ、政治は常に場当たり的、官僚機構に取り込まれ国民負担を強いようとする、退任すると見せかけて退任の考えはない、東工大のご学友のサジェスチョンにより原発にストレステストを課す、脱原発総選挙の機を伺う、リーダーとしての資質及び自覚無

足利義政→文化面での貢献大(東山文化)
菅直人→文化面での貢献無、弁理士資格有、自分が利口あるいは正しいと堅く信じ込んでいる※※(知能が足りないのであれば別に国家国民に迷惑をかけませんが、この手の無自覚※※人間が一番始末が悪い、とんでもない愚行を行いかねない、歴史をみれば多くの事例が見いだせます)

<まあ、おふざけはこの辺にします。ご容赦ください。>

結局、義政以降足利将軍は権威だけの存在となり、下剋上、戦国時代へと突入していくことになります。

一方、菅直人氏によって、我が国がどのように歪められ、将来どうなっていくのか、大変憂慮しています。

危機の今こそ成熟した民主国家、かつてのイギリスのやり方に学ぶべき点は多いと思いますがどうでしょうか?

もっとまともで前向きの議論をしたいものです。
怒っても無力感を感じますのでやめます。
明日からまた仕事にがんばりたいと思います。

では(^E^) 怒れる国民の一人より
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