『誰が小沢一郎を殺すのか?―画策者なき陰謀―』
今年に入ってから3月末まではあまりにも忙しく、本を読んでいる時間がなかったのですが、ここにきて若干仕事も落ち着きを取り戻しましたので、本屋さんで立ち読みしながら何かおもしろい本はないか探していたところ、
カレル・ヴァン・ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?―画策者なき陰謀―』(角川書店)
が目にとまりました。
私としましては、若干衝撃を受けるとともに、納得できる部分も多かったため取り上げさせていただきます。
なお、以下については、私の個人的な感想・見解であり、「やまと鑑定パートナーズ」の皆さんとは一切関係ありませんこと、申し添えます。
著者は30年以上にわたって日本の権力構造をめぐる取材・分析を行ってきたオランダ人ジャーナリスト(アムステルダム大学教授)で、過去に『日本/権力構造の謎』(早川書房1989年、官僚機構を始めとする権力行使のあり方を分析し、日本における権力機構の責任中枢の欠如を指摘)や『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社1994年、官僚主義を打破する改革者として小沢一郎氏を評価、「説明責任」という言葉を広めた、薬害エイズ事件における菅直人氏も賞賛)という本がベストセラーにもなっています。
今回の著書は怪しげなタイトルではありますが、決して変な内容ではなく、極めてまともな明治以降の日本における権力機構の分析がなされています。著者が外国人であるからかもしれませんが、日本にいるとなかなか意識しない観点からの鋭い洞察がなされています。多少の事実誤認もありますが、全体を通しての分析枠組みの中ではたいした問題ではありません。
官僚機構が裁量によって実質的に統治している日本では、暗黙の了解によって成立している官僚・検察・マスコミの「非公式なシステム」が存在するといいます。法が権力システムを制御(普通の民主主義国家はこれ)するのではなく、権力システムが法を支配する国だといいます。既存メディア(大手新聞、テレビなど記者クラブ制度から恩恵を受けているマスメディア)がそれをサポートする役割を果たしており、検察の有罪判決率99.9%は検察が裁判官の役割を果たしているに等しいといいます。
問題は、この暗黙のシステムを脅かす存在(既存の社会体制を変革する可能性のある者)は、スキャンダルによって消されてきたということです。
これは、現在では、小沢一郎という政治家に対する「人物破壊(character assassination)」とでもいうべきメディアの動きと検察の行動を見れば明らかだといいます。これらの動きに対し、異議を唱えての抗議デモ(必ずしも小沢氏を支持するための抗議というよりも、検察とメディアの動きに抗議しているという意味合いが大きいのではないかと推察します)が日本各地で繰り広げられているにもかかわらず、記者クラブ制度に加盟するマスメディアがこれをほとんど黙殺していることも奇異に感じておりましたが、納得できます。
このような一方的な動きのみを見せられている国民は、小沢一郎という政治家の本質(彼のやってきたことの意味、やろうとしていることの意味)とは関係なく、何となく「剛腕でリーダーシップはあるが、悪い政治家」というイメージに誘導されてしまっている気がします。
現在の政治資金規正法が曖昧な部分のある法律だということも問題です。政治家にとっても逃げをうてる部分があるとともに、検察側の解釈次第で事件にできてしまえる部分もあるようですので。
話は逸れますが、織田信長には熱烈なファンがいる反面、絶対的な信長嫌いもいます。その理由としては、比叡山焼討ちや一向一揆弾圧など宗教勢力に対する行動に起因する場合も多いのではないかと思います。ただ、注意深く観察すれば、信長が宗教あるいは信仰そのものを弾圧した史実はありません。あくまで、信長が改革しようとしたことに反対する武力勢力に対する武装解除をしただけでその本質は宗教弾圧とは異なります。現在とは異なり、当時は宗教勢力も武力を持ち、時の権力者もなかなかその既得権に踏み込むことはできなかったのです。得てして「改革者」というものは既存の権益を侵すことになりますのでその反発は大きいものなのだと思います。
野党時代は改革者だと思われていた菅直人氏が時の権力の座に就任したとたんに「非公式なシステム」に飲み込まれ、小沢氏を亡き者にしようとしている光景は、私には異様だと映ります。
ウォルフレン氏のいう「非公式なシステム」は、経済学者の野口悠紀雄さんが『1940年体制』(東洋経済新報社、1995年)の中で、「戦時経済体制(1940年体制)」と呼んだものとも関係があるという印象を持ちました。
以前取り上げたことがありますが、野口さんによれば、「戦時経済体制(1940年体制)」とは、以下のようなものだといいます。
1.財政金融制度
(1)間接金融方式
戦前の日本の産業資金供給は、資本市場を通じる直接金融方式を中心とするものであったが、戦時経済の要請によって、銀行を経由する間接金融方式への移行がはかられた。
(2)金融統制
戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日本銀行法は、1998年まで日本の基本的な経済法のひとつであった。
(3)直接税中心の税体系
1940年度税制改正において給与所得者に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
(4)公的年金制度
1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。労働者年金は、1944年に厚生年金保険となった。
2.日本型企業
(1)資本と経営の分離
革新官僚が推し進めた「資本と経営の分離」が、間接金融方式とあいまって、戦後日本企業の基本となった。
(2)企業と経済団体
戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。統制会の上部機構が経団連になった。
(3)労働組合
戦時中に形成された「産業報国会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
3.土地制度
(1)農村の土地制度
戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
(2)都市の土地制度
戦時中に強化された借地法・借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。
現在、制度疲労が問題となり、何らかの改革を要する事項が、意外と多くは戦時経済体制の中で確立されてきたものなのです。戦時体制というものは、極度に官僚的統制が求められる体制です。戦時が戦後となっても、多くの官僚組織は維持されました。戦時と戦後は霞が関においては切れ目なく連続しているのです。
このような強固な既存体制を改革することは並大抵のことではありません。既得権を有する勢力の抵抗は想像を絶するはずです。
このようなものに切り込む「覚悟」は、少なくとも今の菅直人氏にはあろうはずがありません。小沢一郎氏にその「覚悟」があるかどうかはわかりませんが、氏の主張を聞く限りではそのつもりであることを感じさせます。伏魔殿ともいうべき特別会計をゼロベースから見直すと言っておりましたし、記者クラブ制度の見直し、オープン化についてはだいぶ前から前向きでしたし。
ですから「人物破壊」とでもいうべきメディアと検察の攻撃を受けることになっているのではないかと感じます。
そういえば何日か前のニュース番組で、竹中平蔵氏が「すぐ使えるお金が国債整理基金にあるのになぜそれを震災対策に使おうとしないのか」と大塚耕平厚生労働副大臣に質問してましたが、官僚的答弁でかわされておりました。国債整理基金は、本来、発行済の国債に支払う利息を処理する特別会計ですが、いわゆる埋蔵金が表面化して以降、埋蔵金を一般会計の財源とすることを嫌い、財務省管轄下の特別会計の剰余金や繰越金がこの特別会計に移し替えられているようです。
かつて自民党時代、与謝野馨氏はその著書「堂々たる政治」(新潮社、2008年)の中で、いわゆる埋蔵金は、幻想にすぎず、国民を煙に巻く、罪深い議論であり、夢物語であって、何の根拠もなく、伝説の域を出ない、と言っておりました。また、政権交代後は、民主党は倒さねばならない、と常に主張されておりました。ところが、実際、特別会計の中に100兆円近い国家備蓄金(埋蔵金)があるとわかり、2009年度予算以降かなりの埋蔵金が予算に組み入れられている現実があります。驚くことに、その与謝野馨氏は、今年の1月、菅再改造内閣にて、経済財政政策担当大臣に就任しております。埋蔵金は、幻想であり、伝説の域を出ないといっていた政治家が、打倒するはずであった政権にちゃっかりいるわけです。まさに、与謝野氏の言葉をそのままお返しすれば、「幻想の」政治家ともいうべき方が、消費税増税を含む今後我が国の経済財政政策を担当するなど、「夢物語」にしていただきたい気がします。
特別会計については言いたいことが山ほどありますがまたの機会といたします。
では(^E^)
カレル・ヴァン・ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?―画策者なき陰謀―』(角川書店)
が目にとまりました。
私としましては、若干衝撃を受けるとともに、納得できる部分も多かったため取り上げさせていただきます。
なお、以下については、私の個人的な感想・見解であり、「やまと鑑定パートナーズ」の皆さんとは一切関係ありませんこと、申し添えます。
著者は30年以上にわたって日本の権力構造をめぐる取材・分析を行ってきたオランダ人ジャーナリスト(アムステルダム大学教授)で、過去に『日本/権力構造の謎』(早川書房1989年、官僚機構を始めとする権力行使のあり方を分析し、日本における権力機構の責任中枢の欠如を指摘)や『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社1994年、官僚主義を打破する改革者として小沢一郎氏を評価、「説明責任」という言葉を広めた、薬害エイズ事件における菅直人氏も賞賛)という本がベストセラーにもなっています。
今回の著書は怪しげなタイトルではありますが、決して変な内容ではなく、極めてまともな明治以降の日本における権力機構の分析がなされています。著者が外国人であるからかもしれませんが、日本にいるとなかなか意識しない観点からの鋭い洞察がなされています。多少の事実誤認もありますが、全体を通しての分析枠組みの中ではたいした問題ではありません。
官僚機構が裁量によって実質的に統治している日本では、暗黙の了解によって成立している官僚・検察・マスコミの「非公式なシステム」が存在するといいます。法が権力システムを制御(普通の民主主義国家はこれ)するのではなく、権力システムが法を支配する国だといいます。既存メディア(大手新聞、テレビなど記者クラブ制度から恩恵を受けているマスメディア)がそれをサポートする役割を果たしており、検察の有罪判決率99.9%は検察が裁判官の役割を果たしているに等しいといいます。
問題は、この暗黙のシステムを脅かす存在(既存の社会体制を変革する可能性のある者)は、スキャンダルによって消されてきたということです。
これは、現在では、小沢一郎という政治家に対する「人物破壊(character assassination)」とでもいうべきメディアの動きと検察の行動を見れば明らかだといいます。これらの動きに対し、異議を唱えての抗議デモ(必ずしも小沢氏を支持するための抗議というよりも、検察とメディアの動きに抗議しているという意味合いが大きいのではないかと推察します)が日本各地で繰り広げられているにもかかわらず、記者クラブ制度に加盟するマスメディアがこれをほとんど黙殺していることも奇異に感じておりましたが、納得できます。
このような一方的な動きのみを見せられている国民は、小沢一郎という政治家の本質(彼のやってきたことの意味、やろうとしていることの意味)とは関係なく、何となく「剛腕でリーダーシップはあるが、悪い政治家」というイメージに誘導されてしまっている気がします。
現在の政治資金規正法が曖昧な部分のある法律だということも問題です。政治家にとっても逃げをうてる部分があるとともに、検察側の解釈次第で事件にできてしまえる部分もあるようですので。
話は逸れますが、織田信長には熱烈なファンがいる反面、絶対的な信長嫌いもいます。その理由としては、比叡山焼討ちや一向一揆弾圧など宗教勢力に対する行動に起因する場合も多いのではないかと思います。ただ、注意深く観察すれば、信長が宗教あるいは信仰そのものを弾圧した史実はありません。あくまで、信長が改革しようとしたことに反対する武力勢力に対する武装解除をしただけでその本質は宗教弾圧とは異なります。現在とは異なり、当時は宗教勢力も武力を持ち、時の権力者もなかなかその既得権に踏み込むことはできなかったのです。得てして「改革者」というものは既存の権益を侵すことになりますのでその反発は大きいものなのだと思います。
野党時代は改革者だと思われていた菅直人氏が時の権力の座に就任したとたんに「非公式なシステム」に飲み込まれ、小沢氏を亡き者にしようとしている光景は、私には異様だと映ります。
ウォルフレン氏のいう「非公式なシステム」は、経済学者の野口悠紀雄さんが『1940年体制』(東洋経済新報社、1995年)の中で、「戦時経済体制(1940年体制)」と呼んだものとも関係があるという印象を持ちました。
以前取り上げたことがありますが、野口さんによれば、「戦時経済体制(1940年体制)」とは、以下のようなものだといいます。
1.財政金融制度
(1)間接金融方式
戦前の日本の産業資金供給は、資本市場を通じる直接金融方式を中心とするものであったが、戦時経済の要請によって、銀行を経由する間接金融方式への移行がはかられた。
(2)金融統制
戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日本銀行法は、1998年まで日本の基本的な経済法のひとつであった。
(3)直接税中心の税体系
1940年度税制改正において給与所得者に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
(4)公的年金制度
1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。労働者年金は、1944年に厚生年金保険となった。
2.日本型企業
(1)資本と経営の分離
革新官僚が推し進めた「資本と経営の分離」が、間接金融方式とあいまって、戦後日本企業の基本となった。
(2)企業と経済団体
戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。統制会の上部機構が経団連になった。
(3)労働組合
戦時中に形成された「産業報国会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
3.土地制度
(1)農村の土地制度
戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
(2)都市の土地制度
戦時中に強化された借地法・借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。
現在、制度疲労が問題となり、何らかの改革を要する事項が、意外と多くは戦時経済体制の中で確立されてきたものなのです。戦時体制というものは、極度に官僚的統制が求められる体制です。戦時が戦後となっても、多くの官僚組織は維持されました。戦時と戦後は霞が関においては切れ目なく連続しているのです。
このような強固な既存体制を改革することは並大抵のことではありません。既得権を有する勢力の抵抗は想像を絶するはずです。
このようなものに切り込む「覚悟」は、少なくとも今の菅直人氏にはあろうはずがありません。小沢一郎氏にその「覚悟」があるかどうかはわかりませんが、氏の主張を聞く限りではそのつもりであることを感じさせます。伏魔殿ともいうべき特別会計をゼロベースから見直すと言っておりましたし、記者クラブ制度の見直し、オープン化についてはだいぶ前から前向きでしたし。
ですから「人物破壊」とでもいうべきメディアと検察の攻撃を受けることになっているのではないかと感じます。
そういえば何日か前のニュース番組で、竹中平蔵氏が「すぐ使えるお金が国債整理基金にあるのになぜそれを震災対策に使おうとしないのか」と大塚耕平厚生労働副大臣に質問してましたが、官僚的答弁でかわされておりました。国債整理基金は、本来、発行済の国債に支払う利息を処理する特別会計ですが、いわゆる埋蔵金が表面化して以降、埋蔵金を一般会計の財源とすることを嫌い、財務省管轄下の特別会計の剰余金や繰越金がこの特別会計に移し替えられているようです。
かつて自民党時代、与謝野馨氏はその著書「堂々たる政治」(新潮社、2008年)の中で、いわゆる埋蔵金は、幻想にすぎず、国民を煙に巻く、罪深い議論であり、夢物語であって、何の根拠もなく、伝説の域を出ない、と言っておりました。また、政権交代後は、民主党は倒さねばならない、と常に主張されておりました。ところが、実際、特別会計の中に100兆円近い国家備蓄金(埋蔵金)があるとわかり、2009年度予算以降かなりの埋蔵金が予算に組み入れられている現実があります。驚くことに、その与謝野馨氏は、今年の1月、菅再改造内閣にて、経済財政政策担当大臣に就任しております。埋蔵金は、幻想であり、伝説の域を出ないといっていた政治家が、打倒するはずであった政権にちゃっかりいるわけです。まさに、与謝野氏の言葉をそのままお返しすれば、「幻想の」政治家ともいうべき方が、消費税増税を含む今後我が国の経済財政政策を担当するなど、「夢物語」にしていただきたい気がします。
特別会計については言いたいことが山ほどありますがまたの機会といたします。
では(^E^)
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