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「危機の中のリーダー」怒れる国民の一人より

ここ2ヵ月ばかりは行事に仕事にめちゃくちゃ忙しかったのですが、本日やっと一段落し、投稿する余裕がちょっとできました。

ただ、この間の日本の政治状況をみてますと、正直大変ガッかりしています。

「怒れる国民の一人」として物申さずにはいられません。

以下は私の個人的意見であり、やまと鑑定のみなさんとは関係ありません。

今のような危機的状況下でこそリーダーの資質が問われるべきだという意見には大賛成です。平時であれば、多少ダメなリーダーだとしても、それを支える人々がしっかりしていれば、そうたいした問題にはなりません。

危機的状況下でのリーダーと民主制について考えるとき思い出すのは、第二次大戦下、イギリスの首相として同国を勝利に導いたチャーチルです。

1940年まではチェンバレンが首相でしたが、対独伊に対する宥和政策がヒトラーやムッソリーニなどのファシストを増長させたとして批判されました(近年では、宥和政策によって軍備増強の時間稼ぎをしたとの肯定的評価もあるようです)。

独伊の裏切りにより、チェンバレンの宥和政策が破綻すると、後任にはチャーチルが就任し、挙国一致内閣が組閣されることになりました。

チャーチルは誰よりも早く、ファシストとは断固として戦う以外にないことを主張していました。英仏連合軍が敗れ、フランスが屈服した逆境のなかで、イギリス国民はチャーチルの登場を求め、彼もその期待に応え、国民も彼のリーダーシップに応えて逆境を粘り抜き、最終的には勝利をおさめたわけです。

ところが、対独戦が終わって3ヵ月も経たない1945年7月の総選挙で保守党が敗れ、チャーチルは下野しなくてはならなくなったのです。イギリスにとって第二次大戦における最大の功労者が、お役御免と宣告されたわけです。しかも、選挙敗北が確定したのは、ポツダム会談の途中だったため、連合国の勝利に大きく貢献したにもかかわらず、戦勝の瞬間を首相として味わうことなく帰国することになったわけです。

チャーチルのすごいところは、それがイギリスの議会主義、責任内閣制とういものだとして、回顧録などで自らを慰めているところです。なお、チャーチルは「第二次大戦」を最高峰とする一連の著作によりノーベル文学賞を受賞しています。また、何かの本で読みましたが、かつてチャーチルが収監されていたときに、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を取り寄せて、何回も何回も熟読していたことがあったようです。こういう方が歴史から学ぶという人なのだと思います。

イギリス国民は、危機的状況下では強力なリーダーシップを求めましたが、危機が去るや否やより平凡なリーダーと交代させたわけです。この使い分けにこそイギリスの政治能力の根幹があるという学者もいます。この醒めたところが、成熟した議会制民主国家というものなのだと思います。

翻って、今の我が国の状況はどうでしょうか。

原発事故が起こったときに、まず考えるべきだったのは、危険エリアの住民の避難であり(SPEEDIの予測を見ればどのエリアが危険かわかったはず、情報が集約されてくる官邸が知らなかったというのもおかしい、もしそうならそれこそ大問題)、自治体への伝達であり、原発の現地視察などではないはずです(生死も覚悟して頑張っていた現場では迷惑なだけです)。結果、多くの住民を被曝させることになりました。

震災以降をみていると、都合の悪いことはすべて他人に判断を押し付けているように感じます。ベントは東電の判断、注水は自衛隊の判断、法定されていない計画避難地域の避難は住民の判断等々、リーダーとしての自覚はどこにも感じられません。浜岡原発停止要請は英断だと評価する向きもありますが、ある意味何の考えもない方だからこそできたことだと変な意味で評価(?)されていることの方が妥当だと思います。

雑誌に書いてありましたが、今や誰も「首相としての資質」は問題にしていない(みんな知っています)、「人としての資質」が問題にされているのだ、と。

期間限定でもかまいませんので、リーダーシップのある方の出現を望みます。平時であればこの程度でもかまわないとは思いますが・・・・。

そういえば、震災復興構想会議の五百旗頭議長が応仁の乱を持ち出して、首相の資質を今問うべきではない、とういうようなことを、記者クラブで言ったという話がありましたが、歴史に学んだとはいえないピントズレした学者先生だと感じます。確かに応仁の乱によって京都が瓦礫の山となったのは事実ですが、時の為政者が無能でリーダーシップのない人間だったことこそ問題です。

京都は第二次大戦ではほとんど被災しておりませんので、冗談なのかわかりませんが、京都人が「戦後」という場合は、第二次大戦後ではなく、「応仁の乱後」という意味だとの話があります。

恥ずかしながら最近知ったのですが、1945年の5月の段階では、原爆投下目標の第一の候補は京都だったということを知りました。一旦標的からは外されましたが、7月には再び標的の第一候補に復活し、最終的には文化都市が瓦礫の山と化した場合の癒しがたい反米感情も考慮し再度外されたようですが。古本屋さんでたまたま買った、長谷川毅著「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」(中央公論新社、2006.2、第7回読売・吉野作造賞受賞)より。日本がソ連に終戦処理の期待をかけ(スターリンにそんなつもりはサラサラないのですが)、裏切られていく様が克明に描かれており、我が国のリーダー不在を痛感します。

それと、応仁の乱当時の将軍は足利義政ですが、意外と菅直人氏との共通項があります。

<ここからは、気分転換で、半分おふざけですのでご容赦ください。>

足利義政→第8代室町幕府将軍
菅直人→民主党第8代党首(1998年以降の現在の民主党)

足利義政→2代前の将軍:剛腕政治家足利義教
菅直人→2代前の党首:剛腕政治家小沢一郎

足利義政→正室:出しゃばりで強欲な日野富子
菅直人→正室:出しゃばりな菅伸子

足利義政→日野富子の大叔母が足利義政の実母日野重子
菅直人→菅伸子の叔父が菅直人の実父菅寿雄

足利義政→長禄・寛正の飢饉発生(1459~1461)、洛中だけで約8万2千人の死者、この最中に花の御所改築、物見遊山にも行く、後花園天皇に諌められるも無視、顰蹙を買う、応仁の乱発生(1467~1477)、京都は瓦礫の山と化す

菅直人→東日本大震災、原発事故発生、住民避難よりも現地視察パフォーマンスを優先、むしろ被災を拡大させる、4ヵ月を経ても震災復旧すら進展せず、内閣不信任案をペテンでかわす、孫正義に煽てられ自然エネルギーに注力、顰蹙を買う

足利義政→有力守護の畠山氏、斯波氏などの家督争いに介入するも、場当たり的対応によりかえって混乱を増長させる、細川勝元と山名宗全の対立もからみ混乱拡大、自らの後継も統御できず、かえって応仁の乱の原因のひとつとなる、和平のチャンスに引退の無責任、リーダーとしての資質及び自覚無

菅直人→首相に就任以降内ゲバに勤しむ、政治は常に場当たり的、官僚機構に取り込まれ国民負担を強いようとする、退任すると見せかけて退任の考えはない、東工大のご学友のサジェスチョンにより原発にストレステストを課す、脱原発総選挙の機を伺う、リーダーとしての資質及び自覚無

足利義政→文化面での貢献大(東山文化)
菅直人→文化面での貢献無、弁理士資格有、自分が利口あるいは正しいと堅く信じ込んでいる※※(知能が足りないのであれば別に国家国民に迷惑をかけませんが、この手の無自覚※※人間が一番始末が悪い、とんでもない愚行を行いかねない、歴史をみれば多くの事例が見いだせます)

<まあ、おふざけはこの辺にします。ご容赦ください。>

結局、義政以降足利将軍は権威だけの存在となり、下剋上、戦国時代へと突入していくことになります。

一方、菅直人氏によって、我が国がどのように歪められ、将来どうなっていくのか、大変憂慮しています。

危機の今こそ成熟した民主国家、かつてのイギリスのやり方に学ぶべき点は多いと思いますがどうでしょうか?

もっとまともで前向きの議論をしたいものです。
怒っても無力感を感じますのでやめます。
明日からまた仕事にがんばりたいと思います。

では(^E^) 怒れる国民の一人より
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