がんばれ”みんなの党”
参議院議員選挙が11日に投開票され、民主党が与党として参議院での過半数を大きく割り込みました。そんな中、渡辺喜美さん率いる"みんなの党"が大躍進しました。
今回の結果について、若干の感想を述べてみたいと思います。なお、これは私個人の意見でして"やまと鑑定パートナーズ"のみなさんとは関係ありません。
菅直人首相の唐突の感は否めない消費税論議、また、参院選後の記者会見でも、財務相としてギリシャの財政危機を目の当たりにしたことが、財政再建、消費税論議を避けて通れない背景にあったようなことを言ってましたが、私としましては、どうも違和感を感じずにはいられませんでした。
ちょっと前にも菅直人首相が政府支出の「乗数効果」という言葉の意味がわからず、ちんぷんかんな答弁をしたことがありましたが、経済学部出身でもない私でも知っているこんな基本的な用語の意味も知らない人が国の財政運営をはたしてやっていけるのかと驚いた記憶があります。
それにもうひとつ、かつて1980年代のカナダも財政問題が深刻で、国債の格付けが最上位から脱落したことがありました。それを90年代の政権が強い意志でもって取り組み、財政再建に成功したという例があります。成功のPointは、内閣が一体として継続的に取り組んだこと、歳入増収策(税制度の見直し。当然増税も行われました。)も行いつつ歳出削減に重点を置いた施策を実施したこと(当然、行政改革も行われました。年金・保険制度の改革、補助金行政の見直し、公営企業の民営化、連邦公務員の削減、地方分権等々。)、これらを国民が信頼して支持したことも重要です。エコノミストの宿輪純一さんの公開ゼミに参加したとき、宿輪さんもなぜ政治家がカナダの財政再建の成功をほとんど取り上げないのか不思議がっておりました。おそらく、成功の過程で行われた歳出削減に重点を置いた施策に都合の悪いところがあるのではないかと勘ぐってしまいます。
そこで、まず、ギリシャ問題と日本の財政再建の関連についてです。ご存知のようにギリシャは国債を国外の投資家に対し多く発行している国です。一方、日本は自国通貨建ての国債を大部分自国内で消化している国です。
国外投資家向けの国債を大量に発行している国は、経済の失速などにより税収不足が生じ、財政が危機的状況に陥ると、国債が償還できなくなって国が破産する可能性があります(実際は、債権国に対し、リスケやモラトリアムを申し出ることになります)。一方、現代の管理通貨制の下では、日本のように自国通貨建ての国債をいくら発行しても、それが理由で国が破産することはないと考えられます。
(以下は、本ブログ2010年2月3日で取り上げた内容です。)国債償還の裏付けとなる財政力が十分でなくなれば、国債の実質価値(実物財で測った国債の価値)は値下がりします。国債の実質価値が値下がりするということは、国債をアンカーにしている通貨価値が低下するということ(あるいは物価が上昇するということ)です。国の財政力が極端に低下すれば、通貨価値もどんどん下落し、国債の価値も低下し、最後は紙屑同然になってしまい、償還に悩む必要はなくなり、容易に整理できてしまうことに理論的にはなります(なお、以上は、極論した方が本質的な部分がわかりやすくなるという話でして、上記の事態が好ましいという話ではありません)。国債の実質価値は政府の財政力に応じて伸縮しますので、国債の返済財源に不安が生じたときに起こるのはインフレであって国家の破産ではないと考えられるのです。
周りが手を差し伸べなければいまにもデフォルトする国と、国内消化には限界があるとはいえ、自国通貨建てで国内消化が大部分の国債を発行している国では置かれた立場がかなり異なります。日本の場合はもっと腰を落ち着けてじっくり議論をして対処していくべき問題だと思います。唐突に増税ありきの話ではないと思います。
かつて、経済学者のラーナーは、公債の負担についての議論で、国内の投資家向けに発行された内国債であれば、公債の償還時には、増税によって資金を民間から徴収する一方で、その資金を国内の民間経済主体に償還することになるので、結局のところ、民間の経済主体間での資金の移転にすぎず、民間で利用できる資金量は変わりませんので、将来の負担にはならないと主張しました。
一方、国外投資家向けに発行された外国債は、公債保有者が外国人ですので、償還時には、その国の民間経済主体から増税によって徴収された資金を外国人に返済することになりますので、その国の経済主体から国外の経済主体への資金移転となり、その国の民間経済主体の利用可能な資源は減少し、これが将来の負担となってしまうと主張しました。
まあこれは理論上の話ですので、批判もあるとは思います。確かに、上記ラーナーの議論は、国際経済的にはまったく正しい議論です。ただ、国内経済的にはどうでしょうか?問題がないわけではありません。
日本の家計部門が所有している金融資産の多くは高齢者が保有していると思われます。中でも運用比率が高いのは銀行預金や郵便貯金だと思います。公債が償還されるということは、増税によって徴収された資金が、国内の金融機関を通じて、多くは高齢者に移転することを意味します。そうしますと、増税による負担は、現役世代により重くのしかかってくることになります。ラーナーの議論は、日本の国内経済的には、増税を通じて現役世代から高齢者世代への資金の移転という色彩が濃くなるわけです。
当然、現役世代(あるいは将来世代)の反発が予想されます。ただ、現役世代(あるいは将来世代)も、選挙等を通じて、増税に拒否の意思を表明することはできます。国論が二分されることもあり得ます。
結局のところ、現役世代(あるいは将来世代)を納得させるには、公債によって調達された資金がどのようなものに使われたのか(あるいは使われるのか)ということになると思います。その使途が将来の成長のための投資に使われるのであればそう問題にはならないと思いますが、それが過去の「つけ」の補填に使われるのであれば、過去の政府あるいはその当時の現役世代である現高齢者に対し、現役世代(あるいは将来世代)の反発を鎮めることは容易ではないと思われます。「つけ」の責任を誰がどうとり、今後は、現状をよく認識したうえで、ある特定の世代に一方的に押し付けるような話ではなく、一般国民、企業、政治家及び官僚組織全体でどう対処していくのかが問われなければならないはずです。
国内の将来的な政治的対立を含む深刻な問題であることを政治家のみなさんにはよく認識していただきたいと思っております。私たち国民は、小手先のことで騙されるほどバカではありません。唐突な消費税増税論議で対処できるような問題でもないと思います。
それから、ギリシャ問題をおさらいします。以下、竹森俊平著『中央銀行は闘う-資本主義を救えるか』(日本経済新聞出版社、2010.6.30)を参考にしています。ギリシャ問題がマーケットの攪乱要因として浮上したのは2009年の暮れでした(それまで公表されていたものより3倍もの財政赤字があることが発覚)。ただ、支援策については、ドイツの反発もありなかなかまとまらず、2010年4月になって13兆円の支援(2/3をユーロ圏政府が負担、1/3をIMFが負担)がまとまりました。ギリシャのGDP(約31兆円)の半分近くの巨額な公的融資を受け入れる代償として、ギリシャ政府は、2009年末のGDP比13.6%の財政赤字を、2014年までにマーストリヒト基準のGDP比3%になるよう10%以上削減することを約束させられました。
しかしながら、マーケットは13兆円の公的融資は問題の先送りにすぎず、ギリシャ政府はいずれデフォルトを選択するだろうとみており、これがギリシャ危機をユーロそのものの危機に発展させたわけです。
公的融資のおかげでギリシャは2011年末までマーケットでの国債の借り換えをする必要がなく、その間、プライマリー・バランスの赤字をゼロにする財政再建策を進めることになります。仮に現時点でデフォルトを選択すれば、GDP比10%の財政赤字を即座にカットしなければならないという深刻な事態になります。
他方、今後ギリシャの公債残高はGDP比で150%程度に上昇することが予想されており、GDP比の7.5%が利払いに必要になると予想されています。
結局、プライマリー・バランスが均衡した時点で、ギリシャはデフォルトを選択し、債権者との協議に入るだろうと、市場は見ているわけです。
そうなら、13兆円の公的融資は無駄ではないかと思われるかもしれませんが、今ギリシャにデフォルトされては困る理由があるわけです。
ひとつは、今ギリシャにデフォルトされるとPIIGS(俗に"豚やろうども"とか言われているのでしょうか?)と言われるポルトガル(P)、アイルランド(I)、イタリア(I)、ギリシャ(G)、スペイン(S)など財政赤字の大きい他のユーロ圏諸国に危機が連鎖し、ユーロそのものが崩壊してしまう危険があるからです。
もうひとつは、ギリシャのみならず、特にポルトガル、スペインに対して債権を多く持っているフランスやドイツの銀行が大打撃を受け、ヨーロッパ全体に金融危機が発生する危険があるからです。
要するに、ギリシャの救済というよりも、PIIGSに投資しているヨーロッパの金融機関の救済が目的なのです。
いずれギリシャがデフォルトした場合、IMFは優先弁済権をもってますので、ユーロ圏政府が損失を一手に引き受けることになりますが、特に最大国ドイツが一番多く損失を被ることになります。
ユーロ危機は、ドイツと他の加盟国間の対立の激化が背景にあるということです。
各国は財政の緊縮化政策をとらざるを得ませんのでデフレが発生する可能性があります。
このようなギリシャ問題と財政再建乃至消費税増税を唐突にからめる菅直人首相のやり方に、まずもって違和感を覚えた次第です。本当にこの人は、財政のことがわかっているのだろうかと心配になります。
そんなとき、渡辺喜美さん率いる"みんなの党"は、「まずその前にやることがあるのではないか」と主張しました。渡辺さんがやろうとしてできなかった公務員制度改革を含む行政改革を念頭においてのことかと思います。
この辺のことについては、渡辺元行政改革担当大臣の補佐官を務めた原英史氏の『官僚のレトリック 霞が関改革はなぜ迷走するのか』(新潮社、2010.5.15)に詳しく書かれています。小泉内閣がやり残し、安部首相が本気でやろうとしたが政権を投げ出し、福田首相のもとでかなり揉め、麻生首相のもとではかなり後退し、民主党政権に期待したが裏切られた行革の状況が"霞が関修辞学(レトリック)"とともによくわかります。
渡辺さんが本気でやろうとしたことは、当時は「過激すぎる」などと言われましたが、「官僚のレトリック」で整理された内容を見る限り、民間企業の視点からは、何ら過激なものなどではなく、ごく当たりまえのことに見えます。
制度疲労を起こしている可能性のある日本の経済体制を改革していくためにも必要なもののひとつではあると思います。
経済学者の野口悠紀雄さんは『戦後日本経済史』(新潮選書、2008.1.25)の中で、日本の戦後経済体制を「戦時経済体制(1940年体制)」と呼びました(1940年頃に確立されたものらしい)が、我が国の官僚制度はこの「戦時経済体制(1940年体制)」の中に組み込まれて現在まで残っているもののひとつだと思います。
野口さんの著書によれば、「戦時経済体制(1940年体制)」とは、以下のようなものだといいます。
1.財政金融制度
(1)間接金融方式
戦前の日本の産業資金供給は、資本市場を通じる直接金融方式を中心とするものであったが、戦時経済の要請によって、銀行を経由する間接金融方式への移行がはかられた。
(2)金融統制
戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日本銀行法は、1998年まで日本の基本的な経済法のひとつであった。
(3)直接税中心の税体系
1940年度税制改正において給与所得者に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
(4)公的年金制度
1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。労働者年金は、1944年に厚生年金保険となった。
2.日本型企業
(1)資本と経営の分離
革新官僚が推し進めた「資本と経営の分離」が、間接金融方式とあいまって、戦後日本企業の基本となった。
(2)企業と経済団体
戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。統制会の上部機構が経団連になった。
(3)労働組合
戦時中に形成された「産業報国会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
3.土地制度
(1)農村の土地制度
戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
(2)都市の土地制度
戦時中に強化された借地法・借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。
どうでしょうか。驚かれたのではないでしょうか。現在、制度疲労が問題となり、何らかの改革を要する事項が、意外と多くは戦時経済体制の中で確立されてきたものなのです。
戦時体制というものは、極度に官僚的統制が求められる体制です。戦時が戦後となっても、多くの官僚組織は維持されました。戦時と戦後は霞が関においては切れ目なく連続しているのです。
このような強固な既存体制を改革することは並大抵のことではありません。既得権を有する勢力の抵抗は想像を絶するはずです。
相当な"覚悟"が必要となります。政権交代時に民主党には期待しましたが、「官僚のレトリック」に書かれたことが本当であれば(著者は行政改革プロセスのインサイダーですので、守秘義務もあり、できるだけ客観的資料によって書かれている面がありますので、本当だと思います。)、どこまで期待していいのかやや疑問なところもあります。かつて「日本改造計画」を出版された頃の小沢一郎さんには大きな期待を抱いたことがあります。
でも、今、日本の政治家の中で、その"覚悟"を期待できるのは、渡辺喜美さんをおいてほかにはいないと私は考えます。
がんばれ"みんなの党"(あくまで私の個人的意見です)。(^E^)
今回の結果について、若干の感想を述べてみたいと思います。なお、これは私個人の意見でして"やまと鑑定パートナーズ"のみなさんとは関係ありません。
菅直人首相の唐突の感は否めない消費税論議、また、参院選後の記者会見でも、財務相としてギリシャの財政危機を目の当たりにしたことが、財政再建、消費税論議を避けて通れない背景にあったようなことを言ってましたが、私としましては、どうも違和感を感じずにはいられませんでした。
ちょっと前にも菅直人首相が政府支出の「乗数効果」という言葉の意味がわからず、ちんぷんかんな答弁をしたことがありましたが、経済学部出身でもない私でも知っているこんな基本的な用語の意味も知らない人が国の財政運営をはたしてやっていけるのかと驚いた記憶があります。
それにもうひとつ、かつて1980年代のカナダも財政問題が深刻で、国債の格付けが最上位から脱落したことがありました。それを90年代の政権が強い意志でもって取り組み、財政再建に成功したという例があります。成功のPointは、内閣が一体として継続的に取り組んだこと、歳入増収策(税制度の見直し。当然増税も行われました。)も行いつつ歳出削減に重点を置いた施策を実施したこと(当然、行政改革も行われました。年金・保険制度の改革、補助金行政の見直し、公営企業の民営化、連邦公務員の削減、地方分権等々。)、これらを国民が信頼して支持したことも重要です。エコノミストの宿輪純一さんの公開ゼミに参加したとき、宿輪さんもなぜ政治家がカナダの財政再建の成功をほとんど取り上げないのか不思議がっておりました。おそらく、成功の過程で行われた歳出削減に重点を置いた施策に都合の悪いところがあるのではないかと勘ぐってしまいます。
そこで、まず、ギリシャ問題と日本の財政再建の関連についてです。ご存知のようにギリシャは国債を国外の投資家に対し多く発行している国です。一方、日本は自国通貨建ての国債を大部分自国内で消化している国です。
国外投資家向けの国債を大量に発行している国は、経済の失速などにより税収不足が生じ、財政が危機的状況に陥ると、国債が償還できなくなって国が破産する可能性があります(実際は、債権国に対し、リスケやモラトリアムを申し出ることになります)。一方、現代の管理通貨制の下では、日本のように自国通貨建ての国債をいくら発行しても、それが理由で国が破産することはないと考えられます。
(以下は、本ブログ2010年2月3日で取り上げた内容です。)国債償還の裏付けとなる財政力が十分でなくなれば、国債の実質価値(実物財で測った国債の価値)は値下がりします。国債の実質価値が値下がりするということは、国債をアンカーにしている通貨価値が低下するということ(あるいは物価が上昇するということ)です。国の財政力が極端に低下すれば、通貨価値もどんどん下落し、国債の価値も低下し、最後は紙屑同然になってしまい、償還に悩む必要はなくなり、容易に整理できてしまうことに理論的にはなります(なお、以上は、極論した方が本質的な部分がわかりやすくなるという話でして、上記の事態が好ましいという話ではありません)。国債の実質価値は政府の財政力に応じて伸縮しますので、国債の返済財源に不安が生じたときに起こるのはインフレであって国家の破産ではないと考えられるのです。
周りが手を差し伸べなければいまにもデフォルトする国と、国内消化には限界があるとはいえ、自国通貨建てで国内消化が大部分の国債を発行している国では置かれた立場がかなり異なります。日本の場合はもっと腰を落ち着けてじっくり議論をして対処していくべき問題だと思います。唐突に増税ありきの話ではないと思います。
かつて、経済学者のラーナーは、公債の負担についての議論で、国内の投資家向けに発行された内国債であれば、公債の償還時には、増税によって資金を民間から徴収する一方で、その資金を国内の民間経済主体に償還することになるので、結局のところ、民間の経済主体間での資金の移転にすぎず、民間で利用できる資金量は変わりませんので、将来の負担にはならないと主張しました。
一方、国外投資家向けに発行された外国債は、公債保有者が外国人ですので、償還時には、その国の民間経済主体から増税によって徴収された資金を外国人に返済することになりますので、その国の経済主体から国外の経済主体への資金移転となり、その国の民間経済主体の利用可能な資源は減少し、これが将来の負担となってしまうと主張しました。
まあこれは理論上の話ですので、批判もあるとは思います。確かに、上記ラーナーの議論は、国際経済的にはまったく正しい議論です。ただ、国内経済的にはどうでしょうか?問題がないわけではありません。
日本の家計部門が所有している金融資産の多くは高齢者が保有していると思われます。中でも運用比率が高いのは銀行預金や郵便貯金だと思います。公債が償還されるということは、増税によって徴収された資金が、国内の金融機関を通じて、多くは高齢者に移転することを意味します。そうしますと、増税による負担は、現役世代により重くのしかかってくることになります。ラーナーの議論は、日本の国内経済的には、増税を通じて現役世代から高齢者世代への資金の移転という色彩が濃くなるわけです。
当然、現役世代(あるいは将来世代)の反発が予想されます。ただ、現役世代(あるいは将来世代)も、選挙等を通じて、増税に拒否の意思を表明することはできます。国論が二分されることもあり得ます。
結局のところ、現役世代(あるいは将来世代)を納得させるには、公債によって調達された資金がどのようなものに使われたのか(あるいは使われるのか)ということになると思います。その使途が将来の成長のための投資に使われるのであればそう問題にはならないと思いますが、それが過去の「つけ」の補填に使われるのであれば、過去の政府あるいはその当時の現役世代である現高齢者に対し、現役世代(あるいは将来世代)の反発を鎮めることは容易ではないと思われます。「つけ」の責任を誰がどうとり、今後は、現状をよく認識したうえで、ある特定の世代に一方的に押し付けるような話ではなく、一般国民、企業、政治家及び官僚組織全体でどう対処していくのかが問われなければならないはずです。
国内の将来的な政治的対立を含む深刻な問題であることを政治家のみなさんにはよく認識していただきたいと思っております。私たち国民は、小手先のことで騙されるほどバカではありません。唐突な消費税増税論議で対処できるような問題でもないと思います。
それから、ギリシャ問題をおさらいします。以下、竹森俊平著『中央銀行は闘う-資本主義を救えるか』(日本経済新聞出版社、2010.6.30)を参考にしています。ギリシャ問題がマーケットの攪乱要因として浮上したのは2009年の暮れでした(それまで公表されていたものより3倍もの財政赤字があることが発覚)。ただ、支援策については、ドイツの反発もありなかなかまとまらず、2010年4月になって13兆円の支援(2/3をユーロ圏政府が負担、1/3をIMFが負担)がまとまりました。ギリシャのGDP(約31兆円)の半分近くの巨額な公的融資を受け入れる代償として、ギリシャ政府は、2009年末のGDP比13.6%の財政赤字を、2014年までにマーストリヒト基準のGDP比3%になるよう10%以上削減することを約束させられました。
しかしながら、マーケットは13兆円の公的融資は問題の先送りにすぎず、ギリシャ政府はいずれデフォルトを選択するだろうとみており、これがギリシャ危機をユーロそのものの危機に発展させたわけです。
公的融資のおかげでギリシャは2011年末までマーケットでの国債の借り換えをする必要がなく、その間、プライマリー・バランスの赤字をゼロにする財政再建策を進めることになります。仮に現時点でデフォルトを選択すれば、GDP比10%の財政赤字を即座にカットしなければならないという深刻な事態になります。
他方、今後ギリシャの公債残高はGDP比で150%程度に上昇することが予想されており、GDP比の7.5%が利払いに必要になると予想されています。
結局、プライマリー・バランスが均衡した時点で、ギリシャはデフォルトを選択し、債権者との協議に入るだろうと、市場は見ているわけです。
そうなら、13兆円の公的融資は無駄ではないかと思われるかもしれませんが、今ギリシャにデフォルトされては困る理由があるわけです。
ひとつは、今ギリシャにデフォルトされるとPIIGS(俗に"豚やろうども"とか言われているのでしょうか?)と言われるポルトガル(P)、アイルランド(I)、イタリア(I)、ギリシャ(G)、スペイン(S)など財政赤字の大きい他のユーロ圏諸国に危機が連鎖し、ユーロそのものが崩壊してしまう危険があるからです。
もうひとつは、ギリシャのみならず、特にポルトガル、スペインに対して債権を多く持っているフランスやドイツの銀行が大打撃を受け、ヨーロッパ全体に金融危機が発生する危険があるからです。
要するに、ギリシャの救済というよりも、PIIGSに投資しているヨーロッパの金融機関の救済が目的なのです。
いずれギリシャがデフォルトした場合、IMFは優先弁済権をもってますので、ユーロ圏政府が損失を一手に引き受けることになりますが、特に最大国ドイツが一番多く損失を被ることになります。
ユーロ危機は、ドイツと他の加盟国間の対立の激化が背景にあるということです。
各国は財政の緊縮化政策をとらざるを得ませんのでデフレが発生する可能性があります。
このようなギリシャ問題と財政再建乃至消費税増税を唐突にからめる菅直人首相のやり方に、まずもって違和感を覚えた次第です。本当にこの人は、財政のことがわかっているのだろうかと心配になります。
そんなとき、渡辺喜美さん率いる"みんなの党"は、「まずその前にやることがあるのではないか」と主張しました。渡辺さんがやろうとしてできなかった公務員制度改革を含む行政改革を念頭においてのことかと思います。
この辺のことについては、渡辺元行政改革担当大臣の補佐官を務めた原英史氏の『官僚のレトリック 霞が関改革はなぜ迷走するのか』(新潮社、2010.5.15)に詳しく書かれています。小泉内閣がやり残し、安部首相が本気でやろうとしたが政権を投げ出し、福田首相のもとでかなり揉め、麻生首相のもとではかなり後退し、民主党政権に期待したが裏切られた行革の状況が"霞が関修辞学(レトリック)"とともによくわかります。
渡辺さんが本気でやろうとしたことは、当時は「過激すぎる」などと言われましたが、「官僚のレトリック」で整理された内容を見る限り、民間企業の視点からは、何ら過激なものなどではなく、ごく当たりまえのことに見えます。
制度疲労を起こしている可能性のある日本の経済体制を改革していくためにも必要なもののひとつではあると思います。
経済学者の野口悠紀雄さんは『戦後日本経済史』(新潮選書、2008.1.25)の中で、日本の戦後経済体制を「戦時経済体制(1940年体制)」と呼びました(1940年頃に確立されたものらしい)が、我が国の官僚制度はこの「戦時経済体制(1940年体制)」の中に組み込まれて現在まで残っているもののひとつだと思います。
野口さんの著書によれば、「戦時経済体制(1940年体制)」とは、以下のようなものだといいます。
1.財政金融制度
(1)間接金融方式
戦前の日本の産業資金供給は、資本市場を通じる直接金融方式を中心とするものであったが、戦時経済の要請によって、銀行を経由する間接金融方式への移行がはかられた。
(2)金融統制
戦時金融体制の総仕上げとして1942年につくられた統制色の強い旧日本銀行法は、1998年まで日本の基本的な経済法のひとつであった。
(3)直接税中心の税体系
1940年度税制改正において給与所得者に対する源泉徴収などが整備され、現在まで続く直接税中心の税体系が確立された。
(4)公的年金制度
1939年の船員保険と1942年の労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員に対する公的年金制度が始まった。労働者年金は、1944年に厚生年金保険となった。
2.日本型企業
(1)資本と経営の分離
革新官僚が推し進めた「資本と経営の分離」が、間接金融方式とあいまって、戦後日本企業の基本となった。
(2)企業と経済団体
戦時中に成長した企業(電力、製鉄、自動車、電機)が戦後日本経済の中核になった。統制会の上部機構が経団連になった。
(3)労働組合
戦時中に形成された「産業報国会」が戦後の企業別労働組合の母体となった。
3.土地制度
(1)農村の土地制度
戦時中に導入された食糧管理制度が戦後の農地改革を可能とした。
(2)都市の土地制度
戦時中に強化された借地法・借家法が戦後の都市における土地制度の基本となった。
どうでしょうか。驚かれたのではないでしょうか。現在、制度疲労が問題となり、何らかの改革を要する事項が、意外と多くは戦時経済体制の中で確立されてきたものなのです。
戦時体制というものは、極度に官僚的統制が求められる体制です。戦時が戦後となっても、多くの官僚組織は維持されました。戦時と戦後は霞が関においては切れ目なく連続しているのです。
このような強固な既存体制を改革することは並大抵のことではありません。既得権を有する勢力の抵抗は想像を絶するはずです。
相当な"覚悟"が必要となります。政権交代時に民主党には期待しましたが、「官僚のレトリック」に書かれたことが本当であれば(著者は行政改革プロセスのインサイダーですので、守秘義務もあり、できるだけ客観的資料によって書かれている面がありますので、本当だと思います。)、どこまで期待していいのかやや疑問なところもあります。かつて「日本改造計画」を出版された頃の小沢一郎さんには大きな期待を抱いたことがあります。
でも、今、日本の政治家の中で、その"覚悟"を期待できるのは、渡辺喜美さんをおいてほかにはいないと私は考えます。
がんばれ"みんなの党"(あくまで私の個人的意見です)。(^E^)
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